白濱亜嵐インタビュー‼️ 「14歳のころ」〜前編〜
ラブベリー本誌の大人気インタビュー企画「14歳のころ」にダンサー、俳優、DJとしても大活躍中のGENERATIONS from EXILEのリーダー白濱亜嵐さんが初登場‼️
16歳までを過ごした地元・愛媛松山時代を全編・後編に分けてクローズアップします❤️
一風変わった白濱家の教育方針、14歳の白濱少年の型破りなマインドにも注目です✨
人生初のライブ鑑賞はEXILEのステージ
僕の14歳の頃といえば、思い出すのは初めてEXILEのライブを観たことです。
それが僕にとっての人生初のライブで人生初の生EXILE。
元々は姉が行くはずのライブだったんですけど、都合が悪くなって僕が行ったんです。
死ぬほど格好良くて衝撃を受けました。
それから少し経って、中三の終わりに地元にEXPG(EXILE PROFESSIONAL GYMの略。EXILEやGENERATIONS from EXILEが所属するLDH JAPANが運営するアーティストスクール)ができて迷わず入ったんですが、それも中二の頃に見たEXILEへの憧れが大きかったです。
あの格好良さに少しでも近づきたいと思っていました。
僕の地元は愛媛県の松山市。
山がたくさんあって、街の中に山が溶け込んでいるようなすごくのどかなところです。
家族は公務員のお父さんとスペイン系フィリピン人のお母さん、姉と僕と弟の5人家族。
うちの家族は昔から今に至るまでみんな仲が良いです。
特に4つ上のお姉ちゃんとは子供の頃からよく遊びました。
弟は10歳歳が離れていていま14歳。中学時代の僕も特に荒れてはいなかったですけど、弟はもっとおおらかです。
お母さんがフィリピン人なので僕はハーフなんですが、顔も日本人寄りだし、誰かに何かを言われたこともあまりなく、その辺を意識したことってほとんどなかったです。
僕自身はずっと日本人的性格だと思っていたんですけど、GENERATIONSのメンバーに言わせるとめちゃくちゃ楽天家だそうです。
確かに、あまり悩まないし寝たらすぐ忘れるのでストレスも感じない。
そういうところはラテンの血のなせるワザというか、お母さんの影響なのかなと思います。
くよくよしないし、底抜けに明るくておおらかなので。(笑)
白濱家はみんなそんな感じ。ラテンのノリです。
少しでも興味を持ったらとりあえずやって見る
子供の頃はとにかく活発で友達といるのが大好きでした。
小学生くらいになるとゲームボーイとか持ち歩けるゲーム機を持って公園なんかにたまってみんなでやっていました。
ゲームをすることに対して、大概の親はあんまりいい顔をしないと思うんですけど、うちの親はその辺気にならなかったみたいでポンポン買ってくれましたね。(笑)
ゲーム以外もこれ欲しいと言うと比較的買ってくれることが多かったです。
そう言う部分では甘かったですけど、礼儀作法や躾といったことには相当厳しかったです。
漫画を読みながらご飯を食べていて、お父さんに「やめろ」と注意されてもやめなかったときには、ボッコボコにされて死ぬかと思ったこともあります。(笑)
やりたいことや好きなことは本当に自由にのびのびとさせてもらっていました。
スポーツクラブや習い事も「やってみたい」と言うとすぐに入れてくれましたし。
水泳、野球、空手、書道、サッカー、スノボ…。
いろいろやりましたね。
勉強系の塾にも自分から「行きたい!」と言って通わせてもらいましたが、これは合わなくて一瞬でやめちゃいました。
親も、「塾なんか行かなくてもいいんだよ」って感じで。(笑)
うちの親は、いわゆる教育熱心な親、ではなかったです。
勉強しろとも言われなかったですし、ああしろこうしろと言われることもまったくなかった。
「学校休みたい」と言っても休ませてくれたり。
中学の時なんかも微熱で休ませてくれていた。
別に僕も不登校とかは全くなかったのですが。
もちろん本当は行かなきゃダメなんですけどね。(笑)
考えてみると、やっぱりちょっと白濱家は変わっていたかもしれないですね。
ちなみに今は、気分で仕事を休んだりはしませんよ。
現場を飛ばしたことは一度もないですよ!
授業は歴史が大好きでしたね。
勉強自体も嫌いではなかったですけど、特に真面目にやっていたわけでもなく、やらなきゃいけないことはしている程度。
成績は中の上くらい。意外と良かった。(笑)
いらないと思ったものは自分判断で切り捨てました
中学校ではサッカー部に所属しながら駅伝部を掛け持ちしていました。
メインの部活はサッカーでポジションはフォワード。
部活は大好きだったんですけど試合ではあまり活躍してなかったです。
基本的に常にベンチ。
最後の大会はベンチにすら入っていなかった。(笑)
夏休み全部を使ってフィリピンのおばあちゃんちに行ったり、部活よりその時の自分のやりたいことを優先していたので、多分それもあってスタメンにはなれなかったんだと思います。
部活を休む時は休んでいましたけど、ちゃんと練習だけはやっていたので無駄に体力だけはついちゃって、走ることだったら負けなかったです。
それで駅弁では区間賞を獲ったりもしました。
今もそうなんですけど、自分の人生に必要なものとそうじゃないものを意識的に分けるようになっていたと思います。
「いる」「いらない」、「将来役に立つ」「役に立たない」で考えていて、いらないと判断したものは生活の中から勝手にどんどん省いていっちゃうっていう。(笑)
たとえば勉強でいったら、好きな歴史と将来役に立つであろう英語は真面目に勉強するけど、数学は「実生活で因数分解が役に立つとも思えないし、将来学者になるわけでもない」という理由であまり勉強しなかったです。
一応最低限、理解しなければならないところまではやりますけどそれ以上はやらない。
ただし、「これは必要だ」と思ったら、その教科が苦手でもやっていました。
英語も当時は全然好きじゃなかったけど、「これは絶対に役に立つ」と確信があったので努力しました。
実際、海外へ行ったときにすごく役立つのでやっていて良かったなと思っています。
今でもずっと英語の勉強は続けています。
白濱亜嵐インタビュー‼️ 「14歳のころ」〜後編〜に続く❣️❣️❣️❣️
PHOTO / Gota Suzuki
TEXT / Midori Sasaki